2年ぶりにはてなブログを開いてみた
私の性なのか、人生において何かイベントが起こると記録に残したくなるのかもしれない。
生きていると色々なことがあるけれど、
色々なことが終わり、
色々なことが始まりそうなのです。
今振り返ってみると、
私にとってコロナって大きかったのかもしれない。
働き方を変えたし、色んな人に出会った。
今までやったことなかったことにも挑戦したし、人の色んな部分に触れてきた。
沢山考えて、考えて、考えて
心が揺らぐ。とにかく気持ちが不安定。
これからはこの揺らぎをなくし、
寿命がはやく来て欲しいと願っている。
鬱病から双極性障害Ⅱ型に診断が変わった
タイトル通り。診断名が変わりました。記憶が曖昧でこのブログを記録代わりににしていこうかなと思います。
初診日
平成22年6月9日
私はこの日上司や同僚に精神科に連れて行ってもらいました。
仕事中に、頭が真っ白になり全く動けなくなったからです。
私の病気の原因は、家庭環境が大きく関係しています。幼少期から両親の板挟みで"親"と"子"という関係を築けなかったからだと思ってます。
いま思うと、両親に嫌だと言えばよかったんだと思います。ただ怖くてそれは言えませんでした。
記憶が曖昧なんですが、退職や引越し人生イベントがあり、今の精神科に辿り着いたのが、平成31年12月24日です。
それまでもずっと精神科には通っていたのですが、ずっと鬱病と言われてました。
令和4年4月、診断名が双極性障害Ⅱ型に変わりました。
薬も変わりました。
診断名が変わることなんてあるのかというとまどいがあります。
ただ今まで薬の効果を感じたことが正直なかったんですが、薬を変えて、薬の効果を感じてます。
今飲んでいる薬は、セロクエルです。
初回はラツーダだったんですが、ラツーダはアカシジアという副作用が酷く断薬。
セロクエルの副作用はただただ眠いです。
おかげで眠剤要らずです。
令和4年8月現在
令和4年6月、7月は休職。8月から週1回勤務。
外に出ることがとにかく怖くて、なかなか外へ出れません。今1番困ってるのはお風呂に入るのがなかなかできません。
ただセロクエルを服薬してから、希死念慮がだいぶ軽減しました。今は鬱期です。少しずつ抜けれてる気がします。
令和4年1月から毎週通院。
体調はあんまりよくないんだと思います。
彼女は安楽死を選んだ、の感想。
NHKスペシャルで放送されていた彼女は安楽死を選んだというドキュメンタリー番組。
多系統萎縮症という難病の女性が、自分の最期をどう迎えたいか…を考えた時に、安楽死を選んだ。家族は本人の意志を尊重して安楽死を受け入れる。
日本では安楽死を認められておらず、彼女はスイスで安楽死を施行した。
私個人的には、安楽死に賛成か反対かと聞かれたら答えは出ないのだけれど、私の死に関しては安楽死の考え方は賛成である。
ただ、あくまでも私に関しての話。
誰の手も煩わせたくない。でも、この先何かの病気や障害になる可能性は充分にあるし、年老いた時に出来なくなることが多くなる、誰かの手を借りて生きることにきっとなる。煩わせたくない、迷惑かけたくない、ごめんね、ありがとうすら言えなくなる日が来ると思うと、ぽっくり何かで消えたいと思ってしまう。
でもそんな都合よくぽっくり消えることなんかできないし、多分自殺を考えたことある人や未遂に終わった人にあるあるだと思うけれど、考えれば考えるほど、誰かに迷惑かけないで、命を絶つことはできない。だからって安楽死をって言うのは安易な発想かもしれないけれど、私は自分の最期をどう迎えたいか?と聞かれたら、安楽死を選びたい。
福祉の仕事に携わり色んな方の最期をみとどけ、私は彼女のように難病や重い病気と闘っている方々の、身辺のお手伝いをさせてもらっていた。
難病などの進行によって、目を開けていることすらしんどい、筋力が低下し経口摂取がままならなくなり胃ろう造設、人口呼吸器をつけないと自発呼吸が難しくなる…など、日に日に自分が弱っていく事を受け入れていかざるを得ない方々を私は間近で見てきた。
誰だって、誰かの手を煩わせたくない。
トイレひとつとったって、誰かに、例えそれがナースだろうとヘルパーだろうと、ましてや家族には見られたくないんじゃなかろうか。まだトイレに手を借りながらでも行けるならいい、いいってことはないけれど、便器に座って排泄するのと、紙おむつの中で排泄をするのは、全然違うこと。ご本人の辛さや苦しみは計り知れない。
生きる尊厳とはなんなのだろうと…。
このドキュメンタリーでは、ご本人の苦悩とともに、家族側の気持ちも放送されていた。彼女には、姉2人妹1人がおり、妹は安楽死という選択をせず、家族や周りに頼って生きて欲しいと最後まで願っていた。姉2人は、妹よりは日常的に彼女の介護をしているようで、彼女が難病と診断されてから一緒に暮らしたり、だからこそ、安楽死を反対できずにいた。
本人が決めた事に、うん、いーよって言えないのは当たり前で、それでも、見届けて、でもきっとこの先もずっとずっと、安楽死を認めてよかったのかなって悩むのだと思う。
スイスで安楽死を施行する前に、医師が彼女に、確認した言葉が印象的で忘れられない。
彼女は難病のため、まだ若いけれど筋力が衰えてしまう。ゆえに、病気の進行を危惧して、出来るだけ自分の意志をきちんと伝えられる間に安楽死を施行したかった。
日本からスイスに行ける体力がある間に。
でも、もし彼女がスイスに住んでいたら、こんなに若く安楽死を選ばなかったんじゃない?と医師は言った。
家族は揺らいだ。
でも彼女は、今が死ぬ時ではないかもしれないけれど、いつが(ベストな)死ぬ時期とかは、人間にはない、と安楽死を決断した。
最期は、自らのタイミングで、身体に点滴を流していく。自分の手で最期を本当に迎えていた。綺麗な顔で、本当に苦しまず眠るように、姉2人にお礼を言いながら数分で優しく悲しい時間が流れていた。
死を覚悟し自分の手で(クレンメを開いて滴下する)最期を迎えることに一切躊躇がなく、私は彼女の決意に敬意を表するとともに、ご冥福をお祈り致します。
両口蓋扁桃腺摘出手術 術後2ヶ月 【完】
手術をしてから、早いもので3ヶ月が過ぎました。
新しい元号にも変わりました。
退院してから1週間後に経過観察で病院へ。
診察はすぐに終わり、傷も腫れも少しずつ良くなっているとのこと。
痛みは仕方がないとのこと。
良好なので、病院へはこの日が最後で大丈夫と言っていただけた。
一安心である。
他の方のブログを読むと、病院によっては2週間の入院など、入院期間は医師の判断により様々です。病院や医師にご確認ください。
術後の食事について
食事は、作る気力も体力もなく、そんな時役に立ったのが、介護食。
ドラックストアやスーパーなどで手軽に買えて、とてもとても助かりました。
術後3〜4週間は、介護食で過ごしました。
徐々に、固形物に変えていきましたが、主食はしばらくお粥にしてました。
喉に刺激のあるものは禁止でした。炭酸、辛いもの、硬いもの。
私はその他に、熱いものも避けてました。あと、すっぱいもの。なぜかむせてしまうんです。
喉の違和感は変わらない
術後1ヶ月で、痛みがなくなりました。が、喉に違和感はありました。
喋ると喉に違和感を感じたり、歌う(鼻歌程度)のに声が出せなくて少しびっくりしました。
術後2ヶ月過ぎた今は、花粉の影響もあってか、まだ喉に違和感はあります。でも扁桃腺炎の痛さに比べたら屁でもないです。
手術をしての感想
私は手術をしてよかったです。
抗生物質を飲むこともなくなり、手術をしてからは、体調がとても良いです。
もちろん、術後は痛いですし辛いです。
でも扁桃腺炎で苦しむことがこの先無くなるのであれば、この手術をして本当に良かったです。
ちなみに手術代は、1週間の入院で9万円でした。別途、病衣代あり。
※高額医療の申請はしています。
ということで、手術レポはこれで終わります。
読んでくださりありがとうございます。
両口蓋扁桃腺摘出手術 退院まで
術後2日目(入院4日目)
朝診察をし、点滴を抜いてもらう。
抗生物質、痛み止めの服薬は経口に切り替わる。食事は五分粥、おかずは柔らかなもの。
術後3日目(入院5日目)
朝診察をし、術後の経過問題ないので明日退院できるとのこと。
術後4日目(退院)
朝診察をし、退院許可。
注意すること
○炭酸、アルコールは飲まない
○ガラガラうがいはダメ!ぐちゅぐちゅウガイならオッケー!
○固いもの、辛いものは食べない
○とにかく絶対安静
○まれに出血することがある、その際はすぐに病院へ連絡する
○免疫が下がってるから過度な外出は禁止
術後4日目なのでまだ微熱、入院で体力も落ちているし、自宅に帰ってからは泥のように眠る。
痛み止めを飲んでも、痛い。私の場合は、喉も痛いが耳も痛い。あと、喋りづらい。舌足らずみたいな感じで、うまく喋れない。
あくびなどをすると喉の奥が引っ張られ、痛い。クシャミもなかなか痛い。
現在術後11日目だが、まだ喉の痛みはある。
口の中の腫れや傷は無くなった。
食事はお粥。退院してからは、介護食品をドラックストアで買っている。とても美味しい。水分は摂れている。
明日はまた病院へ行く。
両口蓋扁桃腺摘出手術 術後1日目
術後1日目(入院3日目)
6:00 バイタルチェック
7:15 朝ごはん
9:30 診察
10:30 バイタルチェック
12:00 昼ごはん
17:00 バイタルチェック
18:00 夕ごはん
前日の嘔吐と吐き気と痰絡みで疲れ果てた私は夜中に起きることもなく朝5時に目覚める。
喉の痛み、熱っぽさ、口の中の腫れ、痛みはあるが我慢できる。
出血も止まっていて、痰もだいぶ減り、あとは日にち薬なのだと思う。
点滴から抗生物質を入れる(1日3回)、痛み止めも点滴からできると言われたが、喉の痛みはなんとか我慢できそうだったのと、点滴を入れてる腕が痛くて、痛み止めは経口摂取した。
朝ごはんは、流動食。重湯、ヤクルト、グレープジュース、味噌汁。
昼ごはん、夕ごはんは、三分粥とペースト食だった。
夜、点滴が滴下しなくなり、針を入れ替えてもらう。手の甲に。痛い。痛すぎる。でも我慢だ。
そんな我慢の1日だった。
両口蓋扁桃腺摘出手術当日
2月8日、手術当日の流れ
※前日2月7日21時以降は食事禁止。
※手術予定は2月8日15時とのこと。
※お水は当日の12時までオッケーと言われてました。
9:30 診察→点滴
14:00 手術着に着替える
14:25 手術室移動
14:30〜15:30 摘出手術
15:30〜16:30 処置室
16:35~ 病室へ戻る 3時間はベットで安静
手術を終えて
全身麻酔どころか手術もしたことがない私、さぞガチガチに緊張するだろうと思っていたが、手術室に入るまではそこまで緊張しなかった。
ドラマで見るオペ室に、淡々とした気持ちで歩いて入室するのはとても不思議だった。
麻酔薬は、点滴から入れていくのだけど、手術室へ入り、看護師さんや医師がオヤオヤ?とざわつき始めた。滴下しないというトラブル発生!!!
針抜く?どうする?入れなおす?とりあえず針の角度を変えてみよう~という皆さんの意見で角度を変えて、無事滴下しはじめた、私の腕よ頑張れ!!
医師「あんさん、今から薬入れます。」
私「は~い」
医師「しみますよ~」
私「はい~え?しししみるんですか????」
酸素マスクから何か出てきた
医師「なんか苦いかも~ごめんね」
私「く…くるじいいいい…う…」
というやり取りをし、記憶なくなる。
目覚めた時には病室用のベッドに移っていた。
ははははやい!!!!
頭がぼーっとする。なんか熱い。のどが痛い。しゃべれない。
医師「あんさん、どうですか?」
私「いだい…」
病室に戻ると夫がいた。が、目が開かない。頭ぼーっとする。
看護師さんに19時まではベッドから起き上がれませんと再度説明を受ける。
意識が少しずつ戻ってきたぐらいから、血混じりの痰がからむ。
顔を横向きにしてティッシュに痰を吐く。頭も上げてはいけないし(あげられない)手にも力入らず、声も出せないので、私が横を向くと、夫にティッシュを取ってもらい介助してもらいながら頻繁に痰を吐く。
18:00になると意識がしっかりしはじめた。
私ったらすごい回復だな~なんて調子こいていた。
19:00酸素マスクを外し、トイレへ看護師さんに連れていってもらう。
そこでびっくりする!!!!!
足がふわふわ~頭ふわふわ~乗り物酔いMAX状態に吐き気が止まらない。
やばい。この吐き気やばい。
19:00~24:00 嘔吐、痰、吐き気の繰り返し。
全身麻酔なめてました。24:00ごろ吐き気がぴたりとおさまる。
副作用とのこと。これが一番つらかった。
この時には痰に血も混じっていなかった。
喉の痛みは、扁桃腺が腫れた時のような痛み。なんとか我慢できる痛み。
熱は38度。夜中にはバイタル落ち着いてました。
とても疲れたので、この日は眠剤なしで寝たような気がします。