ぼちぼち、まずまずで

思ったこと、とか?

双極性障害の仕事復帰について

来月のシフトを決める時期だなと思い今日、私から上司に連絡を入れました。

私の今の自己評価では、週1回の勤務は大丈夫そう。

ただ、週2回勤務は大丈夫という気持ち50%、ちょっとまだ早いかな焦ってるかな私という気持ち50%とですと素直に伝えました。


セロクエル3錠(75mg)が眠くて翌朝はボーっとしている現状。医師は今度の通院で4錠にしたいと思っている。はて、私は4錠も飲まなきゃダメなんかな?って思ったんだけど、

すっかり忘れてました。8月の頭に久しぶりにどデカい自傷行為をし、今も腕が痛いんだった。。。そしてODも心配されてるんでした。

ということで、多分次の通院は4錠かと思われます。

でも今週は、昼のワイパックスを服薬せず過ごせてます。

上司と今日話したこと

①週2回勤務にしてみるが、少しでもオカシイと思ったら週1回勤務に戻すということ。

②私はまだ相手次第で躁に引っ張られちゃう(鬱には引っ張られない)ことを懸念していること

③医師の助言も踏まえて来週また上司に連絡すること

ということで、私は会社にものすごく配慮してもらいながら復帰をさせてもらっています。

今週末、医師の助言をもらい週明け来月のシフトをまた上司と考えると思います。


鬱病から双極性障害Ⅱ型に診断が変わった

タイトル通り。診断名が変わりました。記憶が曖昧でこのブログを記録代わりににしていこうかなと思います。

初診日

平成22年6月9日

私はこの日上司や同僚に精神科に連れて行ってもらいました。

仕事中に、頭が真っ白になり全く動けなくなったからです。

この時の私の診断名は、適応障害鬱病。でした。

私の病気の原因は、家庭環境が大きく関係しています。幼少期から両親の板挟みで"親"と"子"という関係を築けなかったからだと思ってます。

いま思うと、両親に嫌だと言えばよかったんだと思います。ただ怖くてそれは言えませんでした。

記憶が曖昧なんですが、退職や引越し人生イベントがあり、今の精神科に辿り着いたのが、平成31年12月24日です。

それまでもずっと精神科には通っていたのですが、ずっと鬱病と言われてました。

令和4年4月、診断名が双極性障害Ⅱ型に変わりました。

薬も変わりました。

診断名が変わることなんてあるのかというとまどいがあります。

ただ今まで薬の効果を感じたことが正直なかったんですが、薬を変えて、薬の効果を感じてます。

今飲んでいる薬は、セロクエルです。

初回はラツーダだったんですが、ラツーダはアカシジアという副作用が酷く断薬。

セロクエルの副作用はただただ眠いです。

おかげで眠剤要らずです。

令和4年8月現在

イフェクサーワイパックス

ワイパックス

セロクエル

就寝前コントミンハルシオン

コントミンハルシオンは現在服薬せず寝れてます。

令和4年6月、7月は休職。8月から週1回勤務。

外に出ることがとにかく怖くて、なかなか外へ出れません。今1番困ってるのはお風呂に入るのがなかなかできません。

ただセロクエルを服薬してから、希死念慮がだいぶ軽減しました。今は鬱期です。少しずつ抜けれてる気がします。

令和4年1月から毎週通院。

体調はあんまりよくないんだと思います。

ゆるっと♪講演会いってきました

今日は不登校の親御さんが主催する『ゆるっと♪』の講演会に行ってきました。

ameblo.jp

 

『ゆるっと♪』とは、不登校の子を持つ親御さん達が、情報を共有したり悩みをシェアしたり、大丈夫、孤独じゃない、そんなあたたかい想いから毎月、千葉県柏市でワークショップをしたり、ランチ会を開催したり、様々な活動をしています。

現在は長野、大阪、京都とこの活動は広がってます。

profile.ameba.jp

 

子供がいない私が…これからもたぶんきっとその予定はない私が、この講演会に参加していいものなのか?と思いつつ…この講演会で縁が広がったらいいなと思い、お邪魔させてもらいました。

 

今日の講演会は、フリースクール東京シューレの理事立山氏が講師としてきてくださり、参加者40名以上の熱気あふれる会でした。

立山氏ご自身のお子さんの不登校の話、その時の親としての気持ち、どんな風に子供へ接してきたか、など具体的なことをお話ししてくださいました。質疑応答も交えながら前半は終了し、後半は少人数制でのグループディスカッションでした。

 

どのグループも話は尽きることなく、学校側の対応や不登校になってからの家での過ごし方、勉強はどうするのか?これからの進路や将来への漠然とした不安。どこまで子供に口を出していいのか、などなど、沢山悩んで悩んで悩みまくったことがすごく伝わりました。

 

すごく印象的だったのが、講演会には沢山のお父さんが参加していらっしゃり、お父さんとしての悩みをお父さん同士で共有していました。今まで奥様に任せっきりで申し訳ないと話されていた方もいました。

 

立山氏が仰っていたことで心に残っているのは、子供とのコミュニケーションを図るうえで最も大事なことは、子供のタイミングを待つことと話されていました。

これは不登校児×親との関係性だけでなく、どの親子にも言えるのではないかと思いました。

親が良かれと思って、これどう?とか、こんなの好きなんじゃない?とか、子供が何を考えてるか理解したくて、親からの一方的なコミュニケーションは逆効果とのこと。

子供が話してくれるタイミングを待ち、もし子供の方から〇〇ってどうゆうこと?など質問をしてきた時がチャンス。

待つということはしんどいと思います。すぐに結果が出ないから。どうしたって答えを求めたくなるから。

 

からしんどくならないように、ゆるっと♪のような親の会に参加したり、不登校児の先輩親御さんに話を聞いたり、悩みを聞いてもらったり共有したり、子供のことから目をそらし、親がもっと楽しいことを見つけることがすごく大事と話されてました。

私もそう思います。

不登校の要因は様々で、お母さんやお父さんが悪いわけではない。本人も傷ついて不安だけど、お母さんとお父さんも同じくらい不安。

だから、いま悩んで苦しんでる親御さんにこんなすてきな活動が届いたらいいな。

自分を責めないでほしいな。

と心から思いました。

 

ゆるっと♪の代表の方の今日の講演会レポです。

ameblo.jp

 

東京シューレ

https://www.shure.or.jp/

 

とっても楽しい講演会でした!!!

 

彼女は安楽死を選んだ、の感想。

NHKスペシャルで放送されていた彼女は安楽死を選んだというドキュメンタリー番組。

www6.nhk.or.jp

多系統萎縮症という難病の女性が、自分の最期をどう迎えたいか…を考えた時に、安楽死を選んだ。家族は本人の意志を尊重して安楽死を受け入れる。

 

日本では安楽死を認められておらず、彼女はスイスで安楽死を施行した。

私個人的には、安楽死に賛成か反対かと聞かれたら答えは出ないのだけれど、私の死に関しては安楽死の考え方は賛成である。

ただ、あくまでも私に関しての話。

私には両親、兄妹、夫がいるけれど、誰の手も煩わせたくない。でも、この先何かの病気や障害になる可能性は充分にあるし、年老いた時に出来なくなることが多くなる、誰かの手を借りて生きることにきっとなる。煩わせたくない、迷惑かけたくない、ごめんね、ありがとうすら言えなくなる日が来ると思うと、ぽっくり何かで消えたいと思ってしまう。

でもそんな都合よくぽっくり消えることなんかできないし、多分自殺を考えたことある人や未遂に終わった人にあるあるだと思うけれど、考えれば考えるほど、誰かに迷惑かけないで、命を絶つことはできない。だからって安楽死をって言うのは安易な発想かもしれないけれど、私は自分の最期をどう迎えたいか?と聞かれたら、安楽死を選びたい。

 

福祉の仕事に携わり今年で14年目に突入し、色んな方の最期をみとどけ、現在進行形で、私は彼女のように難病や重い病気と闘っている方々の、身辺のお手伝いをさせてもらっている。

難病などの進行によって、目を開けていることすらしんどい、筋力が低下し経口摂取がままならなくなり胃ろう造設、人口呼吸器をつけないと自発呼吸が難しくなる…など、日に日に自分が弱っていく事を受け入れていかざるを得ない方々を私は間近で見てきたし、今も見ている。

誰だって、誰かの手を煩わせたくない。

トイレひとつとったって、誰かに、例えそれがナースだろうとヘルパーだろうと、ましてや家族には見られたくない。まだトイレに手を借りながらでも行けるならいい、いいってことはないけれど、便器に座って排泄するのと、紙おむつの中で排泄をするのは、全然違うこと。ご本人の辛さや苦しみは計り知れない。

生きる尊厳とはなんなのだろうと…。

 

このドキュメンタリーでは、ご本人の苦悩とともに、家族側の気持ちも放送されていた。彼女には、姉2人妹1人がおり、妹は安楽死という選択をせず、家族や周りに頼って生きて欲しいと最後まで願っていた。姉2人は、妹よりは日常的に彼女の介護をしているようで、彼女が難病と診断されてから一緒に暮らしたり、だからこそ、安楽死を反対できずにいた。

本人が決めた事に、うん、いーよって言えないのは当たり前で、それでも、見届けて、でもきっとこの先もずっとずっと、安楽死を認めてよかったのかなって悩むのだと思う。

 

スイスで安楽死を施行する前に、医師が彼女に、確認した言葉が印象的で忘れられない。

彼女は難病のため、まだ若いけれど筋力が衰えてしまう。ゆえに、病気の進行を危惧して、出来るだけ自分の意志をきちんと伝えられる間に安楽死を施行したかった。

日本からスイスに行ける体力がある間に。

でも、もし彼女がスイスに住んでいたら、こんなに若く安楽死を選ばなかったんじゃない?と医師は言った。

家族は揺らいだ。

でも彼女は、今が死ぬ時ではないかもしれないけれど、いつが(ベストな)死ぬ時期とかは、人間にはない、と安楽死を決断した。

 

最期は、自らのタイミングで、身体に点滴を流していく。自分の手で最期を本当に迎えていた。綺麗な顔で、本当に苦しまず眠るように、姉2人にお礼を言いながら数分で優しく悲しい時間が流れていた。

 

死を覚悟し自分の手で(クレンメを開いて滴下する)最期を迎えることに一切躊躇がなく、私は彼女の決意に敬意を表するとともに、ご冥福をお祈り致します。

 

 

両口蓋扁桃腺摘出手術 術後2ヶ月 【完】

手術をしてから、早いもので3ヶ月が過ぎました。

新しい元号にも変わりました。

退院してから1週間後に経過観察で病院へ。

診察はすぐに終わり、傷も腫れも少しずつ良くなっているとのこと。

痛みは仕方がないとのこと。

良好なので、病院へはこの日が最後で大丈夫と言っていただけた。

一安心である。

他の方のブログを読むと、病院によっては2週間の入院など、入院期間は医師の判断により様々です。病院や医師にご確認ください。

 

術後の食事について

食事は、作る気力も体力もなく、そんな時役に立ったのが、介護食。

ドラックストアやスーパーなどで手軽に買えて、とてもとても助かりました。

術後3〜4週間は、介護食で過ごしました。

徐々に、固形物に変えていきましたが、主食はしばらくお粥にしてました。

喉に刺激のあるものは禁止でした。炭酸、辛いもの、硬いもの。

私はその他に、熱いものも避けてました。あと、すっぱいもの。なぜかむせてしまうんです。

喉の違和感は変わらない

術後1ヶ月で、痛みがなくなりました。が、喉に違和感はありました。

喋ると喉に違和感を感じたり、歌う(鼻歌程度)のに声が出せなくて少しびっくりしました。

 

術後2ヶ月過ぎた今は、花粉の影響もあってか、まだ喉に違和感はあります。でも扁桃腺炎の痛さに比べたら屁でもないです。

 

手術をしての感想

私は手術をしてよかったです。

抗生物質を飲むこともなくなり、手術をしてからは、体調がとても良いです。

もちろん、術後は痛いですし辛いです。

でも扁桃腺炎で苦しむことがこの先無くなるのであれば、この手術をして本当に良かったです。

 

ちなみに手術代は、1週間の入院で9万円でした。別途、病衣代あり。

※高額医療の申請はしています。

 

ということで、手術レポはこれで終わります。

読んでくださりありがとうございます。

 

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両口蓋扁桃腺摘出手術 退院まで

術後2日目(入院4日目)

朝診察をし、点滴を抜いてもらう。

抗生物質、痛み止めの服薬は経口に切り替わる。食事は五分粥、おかずは柔らかなもの。

 

術後3日目(入院5日目)

朝診察をし、術後の経過問題ないので明日退院できるとのこと。

 

術後4日目(退院)

朝診察をし、退院許可。

 

注意すること

○炭酸、アルコールは飲まない

○ガラガラうがいはダメ!ぐちゅぐちゅウガイならオッケー!

○固いもの、辛いものは食べない

○とにかく絶対安静

○まれに出血することがある、その際はすぐに病院へ連絡する

○免疫が下がってるから過度な外出は禁止

 

術後4日目なのでまだ微熱、入院で体力も落ちているし、自宅に帰ってからは泥のように眠る。

痛み止めを飲んでも、痛い。私の場合は、喉も痛いが耳も痛い。あと、喋りづらい。舌足らずみたいな感じで、うまく喋れない。

あくびなどをすると喉の奥が引っ張られ、痛い。クシャミもなかなか痛い。

 

現在術後11日目だが、まだ喉の痛みはある。

口の中の腫れや傷は無くなった。

食事はお粥。退院してからは、介護食品をドラックストアで買っている。とても美味しい。水分は摂れている。

明日はまた病院へ行く。

 

 

 

 

 

 

 

両口蓋扁桃腺摘出手術 術後1日目

術後1日目(入院3日目)

6:00 バイタルチェック

7:15 朝ごはん

9:30 診察

10:30 バイタルチェック

12:00 昼ごはん

17:00 バイタルチェック

18:00 夕ごはん

 

前日の嘔吐と吐き気と痰絡みで疲れ果てた私は夜中に起きることもなく朝5時に目覚める。

喉の痛み、熱っぽさ、口の中の腫れ、痛みはあるが我慢できる。

出血も止まっていて、痰もだいぶ減り、あとは日にち薬なのだと思う。

点滴から抗生物質を入れる(1日3回)、痛み止めも点滴からできると言われたが、喉の痛みはなんとか我慢できそうだったのと、点滴を入れてる腕が痛くて、痛み止めは経口摂取した。

朝ごはんは、流動食。重湯、ヤクルト、グレープジュース、味噌汁。

昼ごはん、夕ごはんは、三分粥とペースト食だった。

夜、点滴が滴下しなくなり、針を入れ替えてもらう。手の甲に。痛い。痛すぎる。でも我慢だ。

 

そんな我慢の1日だった。